2013年4月27日土曜日

歴史の跫音を聴く 其の参

過日4月21日の日曜日、ぶらり出石へ行って参りました。
今年の出石と言えば、ずばりこのお方です。
八重さんのひとり目の旦那様、尚之助さんの故郷は出石です。
ということで、出石城下もそんな大河ブームに染まりつつありました。
こんなHPもありますので、尚之助さんを求めて出石に足を運ばれる際は是非参考に→「川崎尚之助の故郷を旅する」。
さて、まずは尚之助さんの生家跡へ。
明治9年に一度は焼失、その後川崎渉一さんによって再建され、明治25年まで渉一さんがこの家に住んでいたそうです。
建物はその明治期のもので、現在は化粧品店となっていますが、営んでいる方は川崎家の方ではありません。

大きな地図で見る
場所は上図を参考に。
尚之助さんの生家が出石藩士の家だったかどうかすら定かではない、と言われていましたが、実際生家跡を見ると出石城にほど近い場所に生家跡がありますので(内堀よりは外側のエリアですが)、身分は低かったかもしれませんが、藩士だった可能性は否定出来ませんよね。
最近では歴史研究家のあさくらゆう先生が大変丁寧に尚之助さんの足跡を追っておられ、次第に尚之助さんのことが分かりつつあります。
過日出版されましたあさくら先生の著書は、特に尚之助さんを知る上で大変重宝したい一冊になっておりますので、皆様も機会があればお手に取ってみて下さいませ。
さて、そこから本町通りをトコトコと歩いて、次に向かいましたのは臨済宗・願成寺。
三体のダルマさんが、来訪者を迎えてくれるこのお寺は、川崎家の菩提寺です。
パンフレットにはこうあります。
川崎家の菩提寺。川崎家の記録は享保年間(1720頃)より存在する。尚之助もここで弔われたとされる。由緒ある山門は江戸時代当時のもので、豊岡市指定文化財。山門前の目力の強い3体のだるま大師が目印。
尚之助さんのものと思われているお墓と、それともうひとつ特記しておきたいのが上の写真の石碑。
尚之助さんの故郷の出石の地で、顕彰と供養に繋がる碑を建てようと、2013年1月吉日に有志の方によって建てられたばかりのものです。
お寺の向かいの斜面にあります。
武士の刀をイメージした出雲石で作られているようです(尚之助さんが武士というのは少々謎なところですが・・・)。
故郷で自分のことが見直されて、故郷で大切にされるというのは、尚之助さんご本人にとっても非常に喜ばしいことでしょうね。
その願成寺のすぐ隣に位置するのが、宗鏡寺、通称「沢庵寺」。
出石藩主代々の菩提寺で、元和2年(1616)に沢庵和尚が再興したことから沢庵寺の異名がついたそうです。
この宗鏡寺では現在、尚之助さんのお祖父さんに当たる川崎才兵衛さんが文政2年(1819)に寄進した灯篭が展示されていました。
高さ約121.5cm、基礎台径33cmのもので、鋳銅製です。
今回の出石尚之助さん探索は、この宗鏡寺で幕を下ろしました。

尚之助さんの最期は非常に不遇なものですが、故郷で少しずつ注目を集め、歴史研究家の方にって曖昧だった史実が明らかになりつつあり・・・と、ここ数年で尚之助さんの評価は大きく変わってきたと思います。
(大河が始まるまでは、会津戦争の時に尚之助さんがどういう行動を取ったのかは、いまとは全く違う説が唱えられていました)
それはひとえに出石の町の方々や、あさくら先生によるものでしょう。
何も知名度が全国区になって欲しいとまでは言いませんが、出石出身にそういう人がいたのよ、という風に、今後もその人生と共に大切に語り継がれて行って欲しいなと思います。


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