2013年11月12日火曜日

第45回「不義の噂」

琵琶湖疏水、と言われてピンと来る方は少ないと思いますが、南禅寺にある水路閣(写真)は見たことのある方が多いのではないでしょうか。

これは明治18年(1885)に、当時の京都府年間予算の十数倍の額を投入して行われた事業で、この事業があったからこそ、京都の人は今でも清浄水を絶やすことなく使うことが出来ているのです。
更にこれは明治28年(1895)~大正15年(1928)には疎水から引いた水で、蹴上に日本初の営業用水力発電が設置され、伝記による機械製工業の発展など、京都の近代化をますます担うことになります。
覚馬さんは京都商工会議所の会長としてこれにも関わっており、ここにも京都の近代化と復興を担った山本覚馬という人物の功績が見られます。
覚馬さんこのとき57歳、数えで58歳なのですが、まだまだ現役を退く気配はない様子です。

一方、舅の民治さんと姑の登美さんにワッフルを振るう八重さん。
「西洋の大判焼きか?」と民治さんは言ってましたが、この時代の言葉に「大判焼き」は存在しません(1950年代に出来た名称ですので)。
いうのなら「今川焼き」が一番妥当な表現です、時代考証さん今週もしっかりしましょう。
まあ、突っ込みはこのくらいにしておいて、ワッフルが「ジョーの大好物で、棚に隠してもすぐに見つけんですよ」というのは有名な逸話ですよね。
食べられないように、八重さんは棚に鍵まで付けたのですが、何処で覚えたのか襄さんはそれをピッキングして食べていたようです(笑)。
逸話を見るに、襄さんは甘いものを沢山食べているように見受けられるのですが、残っている写真を見ると襄さんってスマートなんですよね。
一体カロリー何処に吸収されて行ったのでしょうか・・・謎です。
それはさておき、呑気にワッフル作ってる状況ではなくなった同志社女学校。
以前から雲行きの怪しかった宣教師との対立が表面化し、日本宣教団体(ジャパン・ミッション)と女子宣教師が同志社女学校から撤退し、運営の後ろ盾のなくなった女学校は廃校の危機に立たされます。
そこで、宣教師らの影響力を受けない学校に女学校を作り変えようと画策する八重さんですが、言うのは簡単、でもそのためには多額の資金が必要になります。
何と言っても、宣教師達と手を切るということは、大学運用の資金源とも手を切るということと同意ですから。
そういうわけで八重さんは覚馬さんに、商工会議所の人たちを紹介して貰って資金繰りに奔走します。
しかし商工会議所の人たちは、冒頭の琵琶湖疏水に出費したばかりで、そう易々と女学校の方にまでまたお金を出すのは出来ないというタイミングの悪さで、それでも女学校で参観日を開いて「出資する価値はある」とアピールするなど、なかなかの手際の良さを見せる八重さん。
結局これらが効を成し、大垣屋さんの養子、大沢善助さん達の支援によって同志社女学校は廃校を免れます。
同志社英学校の時もそうでしたが、要は他人(明治政府なり宣教師達)に頼らず自分でやれ、という雰囲気が明治編にはありますよね。

さて、今週の見どころは、初代伊藤内閣設立をさらっと流してまで描いた時栄さんの不義騒動ですね。
蘆花さんの自伝的小説『黒い眼と茶色の目』にも、この一件のことは描写されています。
蘆花さんというのは猪一郎さん(蘇峰さん)の弟で、どうやら来週本編に登場するようです。
彼についてはまたその時に触れるとして、小説での該当箇所を引用してみましょうか。
時代さんはもともと鴨東に撥をとって媚を賣つて居た女の一人であった。幕末から明治にかけて、政治運動の中心であった京都に続出した悲劇喜劇に、地方出の名士に絡むで京美人はさまざまの色彩を添へた。其あつ者は、契つた男の立身につれて眼ざましい光を放つた。眼こそ潰れたれ、新政府にときめく薩長土肥の出でこそなけれ、人々の尊敬も浅からぬ山下さんを、時代さんは一心にかしづいて、二十一の年壽代さんを生むだ。壽代さんが生まれた翌年山下さんは跛になつた。時代さんはますます貢意を見せて、寝起きも不自由の夫によく仕へた。總領のお稻さんが叉雄さんに嫁いで、家督ときまった壽代さんが十四の年、山下家では養嗣子にするつもりで會津の士人の家から秋月隆四郎と云ふ十八になる青年を迎へた。青年は協志社に寄宿して、時々山下家に寝泊りした。時代さんはまだ三十五で、山下さんは最早六十が近かつた。時代さんはわたしが十七の年生むだ子に當ると云つて、養子の隆四郎さんを可愛がつた。其内時代さんは病氣になつた。ドクトル・ペリーの來診を受けたら、思ひがけなく姙娠であつた。一旦歸りかけたペリーさんは、中途で引かへして來て、上り框から聲高に、おめでたう、最早五月です、と云つた。聲が山下さんの耳に入つて、山下さんは覺えがない、と言ひ出した。山下家は大騒ぎになつた。飯島家と能勢家は其虜分に苦心した。相手は直直養子の青年と知れた。時代さんは最初養子を庇つて中々自白しなかつた。鴨の夕涼にうたゝ寝して、見も知らぬ男に犯されたと云つた。其口責が立たなくなると、今度は非を養子に投げかけた。最後に自身養子を誘惑した一切の始末を自白して、涙と共に宥免を乞ふた。永年の介抱をしみじみ嬉しく思つた山下さんは、宥して問はぬ心ではあつたが、飯島のお多恵さんと伊豫から駈けつけたお稻さんとで否慮なしに宥免を追出してしまつた。時代さんは離別となつて山下家を去つた。養子は協志社を退學して郷里に歸つた。離別ときまると、時代さんは自分のものはもとより壽代さんの衣服まで目ぼしいものは皆持て出た。金盥、洗濯盥の様なものまで持て出て往つた。
ちなみにこの小説、全文は近代デジタルライブラリーで読むことが出来ます。
(※山下家=山本家、山下=覚馬さん、時代=時栄さん、協志社=同志社、稻=峰さん、飯島=新島、多恵=八重さん、壽代=久栄さん)
未読の方は、来週の予習として目を通しておくと、来週の話が一層楽しめるかと思います。
話を戻しまして、引用箇所を読まれた方、ドラマの内容と比べて「あれ?」と感じた方もおられるやもしれません。
ですが、飽く迄『黒い眼と茶色の目』は「小説」ですので、ここに書かれていることを史実と捉えることは出来ませんし、そうするのは非常に危険だと思います。
実際問題時栄さんと青木さんの間に何があったのか、間違いはあったのか、時栄さんは妊娠していたのか・・・などなど、真相は全て歴史の中に埋もれております。
分かっているのは、時栄さんが何か間違いを起こし、覚馬さんはそれを許したが八重さんが「臭いものには蓋をしてはなりません」と「ならぬことはならぬ」でそれを譲らず、時栄さんを家から追い出した、という流れのみ。
ただ、火のないところに噂は立たないとも言いますので、『黒い眼と茶色の目』という創作物の中に、もしかしたら真実の欠片が紛れ込んでいるとも言えます。
しかしこの事件を大河ドラマで描くとき、一体何処まで突っ込んでやる気だろうかと(一歩間違えれば大河史上に名を刻む昼ドラシーンになりかねないので)思っていたのですが、その辺りは当たり障りなく描けていましたね。
ただ気になったのが、今に始まったことではありませんが、登場人物の心境の演出が杜撰。
台詞と、それを口にしてる役者さんたちのさり気無い演技で持っていたような部分が見受けられまして、たとえば今回のことですと時栄さんが結局覚馬さんをどう思っていたのか、覚馬さんが時栄さんをどう思っていたのか、その辺りは結局触れないままふたりの関係が終了しましたよね。
登場人物を丁寧に話の中で創って来なかったツケが積もりに積もって、やっつけ感が漂ってたなと。
何より気になるのが、現在45話目ですが、残り5話しかないのにこれに1話丸々割いて良いのかということでして。
特に今回は顕著でしたが、全く「歴史ドラマ」じゃないんですよ。
時間軸がほとんど動いてなくて、しかも空間的距離が山本家の屋根の下のみになってるので、奥行きが全く感じられない。
これじゃあ「朝ドラ」と言われても、反論出来ないでしょう。
否、作品にもよるけど、朝ドラよりも酷いかも知れないです。
何だか、回を重ねるごとに最終回が不安になるこの頃でした。

ではでは、此度はこのあたりで。


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