2013年12月18日水曜日

「八重の桜」総評 -桜は咲いたか-

2013年の大河ドラマ「八重の桜」の制作発表が行われたのは、2011年6月22日のことだったでしょうか。
「日本を元気に」という目標を掲げ、八重さんの生き方を通して東日本大震災を受けた東北に向け「力強いメッセージ」として描いていく、という目標の様なものが第一にあったことは、皆様ご承知の通りです。
「八重の桜」が「復興大河」と言われるのは、そういった背景からです。
桜、とあるのも、また咲いて春を迎えるという意味を込めてでしょうね。
NHKに展示されていたドラマのポスターにも書いてあった、「また咲こう、福島」のキャッチフレーズは、大好きでした。

さて、ではここで作麼生。
それほどまでに想いが込められた八重の「桜」は、咲いたのか?
すぐに説破、とは行かないでしょうから、私なりに感じたことを、やっぱりいつものようにタラタラと書かせて頂きます。

大河ドラマというのは、ご当地の観光誘致という面でも非常な効果を発揮するものでして、観光客が来たらお金が地元に落ちて、地元の経済がぐるぐる回ります。
経済学が苦手な私でも分かる、いわゆるこの「大河ドラマ効果」の面に於いては、「八重の桜」は大盛況だったと言ってまず間違いないでしょう。
会津に足を運んだ人は多いと聞きますし、旅行会社でツアーもたくさん組まれていました。
私などは、会津への思いは募ってもなかなか遠い地ですので、仕事の休みの確保もままならないことも相俟って未だに会津未踏なのですが、それでも今年は会津の方から何かと私の傍にやって来てくれました。
つまりは会津(福島)の物産展ですね。
八重さんが人生の半分以上を過ごした京都は近いこともあってか、今までほとんど行われていなかったように思う会津の物産展が、私の周りでは何度も催されていました。
そこを通じて、私の部屋には赤べこ三つに起き上がり小法師も三つやって来て・・・。
また友人から会津土産として頂いた会津木綿は、カーテンやランチョンマットに姿を変えておりますし、会津漆器の小物整理箱は品よく茶箪笥の中に収まっております。
気付けば、会津未踏の身ながら、部屋の中はすっかり会津の民芸品で埋め尽くされております。
私のように遠隔地ながら民芸品ナドナドを買うということから、会津まで赴いてその地に泊まって旅する・・・というところも含め、やっぱりこれもまるっと「大河ドラマ効果」と言えるのではと思います。
何より福島県の風評被害払拭に、「八重の桜」が効果を発揮したのは事実でしょう。
人が赴けば町も活気づく。
そういった現代と直結する面で見ますと、「桜」は満開に咲き誇ったと思います。

ではドラマに込められた、もうひとつのコンセプトの方の咲き具合は如何だったか。
言わずもがなそのコンセプトは、「薩長史観ではない会津から見た幕末史」。
これについては当ブログで散々申し上げているので、ブログを読んで下さってる方はもうお分かりかと思いますが、こちらの「桜」は咲かず、蕾程度で留まったと感じています。
いえ、途中までは順調でしたので、あの調子で行ってくれれば蕾も綻んだでしょう。
しかし前半(会津編)で積み重ねてきたものを、後半(京都編)で一気に崩して自滅したと言いますか・・・「悪かったのは会津です」と容保様や覚馬さんの口から言わせてしまったのがとどめでした。
以前の記事でも口うるさく書かせて頂きましたが、単純な二元論は歴史には通用しないんです。
そこを、単純な二元論を持ち込んで善悪つけてしまうような真似をしてしまったから、結局は「会津が悪い」といういつもの薩長史観幕末と何ら変わらないものに成り下がってしまった。
最初コンセプト通りの良い作品になりそうだっただけに、この着地点は物凄く惜しいことだと思います。
惜しいからこそ、薩長史観の幕末史ばかりが必ずしも歴史だとは思ってなかったからこそ、口うるさく騒いでいたのです。
この気持ち、少しでも酌んでお分かり頂けたら幸いです。

もうひとつおまけで、ドラマとしての出来の「桜」の咲き具合を検討したいと思います。
いわゆる「八重の桜」が、ドラマ(物語)としてどうだったのか、ということですね。
これに関しては完全に個人評価ですので、飽く迄私はこう思ったんだよ、という程度に受け止めておいて下さい。
自分が思ってることと違うかもしれませんが、あなたにはあなたの評価が、私には私の評価がある、それで良いじゃありませんか。
で、物語としての「八重の桜」は、登場人物の書き込みの粗さ、話の中で登場人物を成長させられなかった積み重ねの下手さが、非常に良く目立ったと思います。
ドラマの中の登場人物だって人なわけですから、感情もあるし、考えもする。
それが行動や発言となって表れてくる。
そういうのを見て、視聴者は「ああ、この人はこういうキャラなんだな」と認識していくのですが、それがほとんど出来なくてですね。
いつか私がブログの記事で零した、「八重さんから会津を感じられない」というのも、そういう描写の甘さが引き起こしたものだと思います。
特に後半は、奥行きのない紙芝居か何かを見せられているような感じになることもしばしば。
映像としては、会津の自然も、籠城戦の戦闘風景も、明治期の八重さんの洋装も、その他諸々素晴らしかったのですが、視覚的な美しさを並べるのなら写真集でも出来ます。
でもドラマなのですから、その視覚的な美しさが動いているわけですよ。
そこに温度を授けられなかったのは、完全に制作側の至らなさでしょう。
ドラマとしてだけの点数をつけるなら、65点でしょうかね。
70点はあげられないです、残念ながら。
それと後は、物語に史実を加える、その匙加減・・・とでも言いましょうか。
ドラマなんですから脚色創作部分あって当然ですし、史実に絶対忠実であれ、と、そんな元を求める気は毛頭御座いません。
いつも、史実では~史実では~というせいか、何だか私は史実絶対主義者のように思われているかもしれません。
ですが、「面白くて、歴史に対して敬意を忘れてない」創作であれば、出されても私は何も文句言いません。
何かにつけて不満があったのは、過去の記事でも何度か触れてきましたが、それを創作するにあたって歴史への敬意が感じられないことがあったからです。
歴史を題材にしたものを脚色する、あるいは創作を挿むということは、「何してもいい」とイコールではありません。
それは『不如帰』という小説を書いて、捨松さんに精神的大ダメージ与えた蘆花さんのしたことと同じです。
だからと言って、先ほど申し上げたように史実に絶対であれ、というわけでもない。
要はバランスの問題なのですが、そのバランスが恐ろしいほど宜しくなかったかと。
(このバランス、歴史を扱うドラマでは欠かせないのに・・・)

と、まあ色々言いましたが、全体で言いますと五分咲きではないので七分咲き辺りでしょうかね。
満開の評は差し上げられません。
何はともあれ「八重の桜」に携わったスタッフ、出演者、関係者の皆々様、大変お疲れ様でした。

ではでは、此度はこのあたりで。


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