2013年12月7日土曜日

求めているものと求められているもの

さて、大河ドラマ「八重の桜」も残すところ僅か2回となりました。
三日坊主ならぬ三分坊主なワタクシが、会津戦争終わった後でもこのブログ書き続けられるか?という懸念は開設当初からあったものの、ナントカ最後までお付き合い出来そう・・・です(多分)。
ドラマとしては、このままあと2回分だと尺が足りないのは明らかなので、一体どうまとめて何処へ着地させて、どう終わらせるつもりなのだろうかと、怖さ半分、諦め半分と言った心地です。
振り返るような記事を書くには今しばらく時期尚早ですが、いつか書こうと思っていた、大河ドラマに於ける時代考証のことについて、自分なりに思っていることを書きたいと思います。

テレビで放送されている歴史ドラマといえば、大河ドラマの他には木曜時代劇ですとか、TBSの正月時代劇ですとか、まあそういったものですよね。
何となく大河ドラマは「時代劇」の括りにはしっくりこず、「歴史ドラマ」の括りの方がしっくり来るのは、「大河」という大仰な名詞を含んでいるからでしょうか。
当ブログでは、その「大河ドラマ」こと「八重の桜」を毎週毎週拙いながらも追って行かせて頂きましたが、その際「あそこが違う」「ここが違う」「あの時代にはこれはなかった」「時代的におかしい」などなどと、文句をぶーたれた回数は決して少なくありません。
むしろ物語が後半部分に差し掛かるにつれ、その数は増えて行ったように思います。
史実的にあそこが違う~ここが違う~と喚くのは、史実に固執しすぎだという謗りも受けましょうが、それでもあまりにおかしなことをされたりすっ飛ばされたりし過ぎると、何か言いたくなってしまうのが歴史好きの性でもあったりします。

たとえば第45回で「大判焼き」という言葉がひょっこり出てきた時、「大判焼きというものは1950年代に出来た言葉だから、明治のあの頃に存在しない」、と指摘する声をいくつも見かけました。
私も勿論しっかりここで指摘させて頂きましたが、逆に大判焼きだろうが何と呼ばれようが、そんなに騒ぐことはないのではないかと思われた方もいるでしょう。
そもそも大河ドラマも「ドラマ」なんですから、完璧に一分もずれることなく史実のレールの上をなぞって行って欲しい、と願うことの方が間違ってます。
それを分かっていながらも、「大判焼き」の呼称ひとつで指摘の声が上がってしまう。
先に挙げた木曜時代劇やTBSの正月時代劇には左程手厳しい指摘はされないのに、「大河ドラマ」が対象になると、どうも手厳しくなってしまう。
この「大河ドラマ」と「その他時代劇」の間に生じる差は一体何なのだろうかと考えて、「大河ドラマ」という50年続くシリーズに抱いている期待値のようなものだろうな、という漠然とした答えにたどり着きました。

私の好きな時代考証家に、稲垣史生さんという方がおられます。
その稲垣先生の著書『歴史考証事典 第二集』に、こんなことが書いてありましたので、少し長くなりますが引用させて頂きます。
(前略)ドラマであるかぎり、面白おかしい娯楽性は無視できないであろう。が、それ一点張りのいわゆる時代劇なら、『銭形平次』や『旗本退屈男』、さては『必殺仕置人』など興味だけの創作に徹すればよい。少なくとも「歴史ドラマ」と銘を打ち、何と、数億円もかける大作に、それ以外の高次元のモチーフがなくてすむか。
 ドラマの課題は常に人間性の剔抉で、その効果的な方法として過去の人間を対象とする。われら、先人の人間性を、容赦なく分析し、えぐり出すのだ。するとどんな英傑・聖人も、どろどろした醜悪面を持っていることを見出す。
 「なあーんだ。われらの先祖もそうだったのか。人間は本来そういう穢いものなのか。では現代の人間と変わらぬではないか」
 と、そう気付くことで、そこに人間生存の原理を見、各自の人生に役立てるためではないか。小説やドラマが、好んで悖徳や不倫をとりあげるのではなく、人間の陰の部分にも隈なく光をあてるためである。
 まさにその目的で、かつてありしままの人間生活を再現させねばならない。そうでなければ、高次元の目標は達せられず、NHKがえんえん一年もやる意味はない。(前掲、昭和52年、新人物往来社)
自分の言葉ではっきり言い表すことが出来なくて大変お恥ずかしいのですが、この文章に触れた時に、自分の中の言葉に纏まらない気持ちが綺麗にまとめられているなと感じました。
つまり大河ドラマは「一年を通じて」放送する、「多額の予算を投じ」た「大作」なわけですよ。
 しかもそれが先程触れたように、50年続いたシリーズである、と。
だから何さ、と思うかもしれませんが、指摘の声の多さは、そのまま大河ドラマというものに寄せられている無言の期待値の現れでもあると思うのですよね。
だから「ドラマ」ということに胡坐をかかずに、稲垣先生のお言葉を借りるならば「高次元」を目指して欲しい。
やっつけ感しか感じられない最近の「八重の桜」は、そういう意味でもう本当の意味での「大河ドラマ」ではないと思うんですよね(というか、「大河ドラマ」何て言っちゃ駄目だ)。
来年からはどうなることでしょうか、はてさて。

ではでは、此度はこのあたりで。


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